富士登山−九州の視覚障害者を支援して:
7月20日(日) −21日(月) :


コース他
天候 :1日目 深い霧の中。2日目 雲海の上の快晴。
参加 :16名 : 視覚障害者3名 晴眼者13名(うち六つ星山の会会員7名)
コース: <20日> 新幹線・新富士駅、結団式=新五合目…元祖七合目山口山荘宿泊 <21日> 山荘…山頂…御殿場口下山道…宝永山火口…富士宮口=新富士駅…解散式。
    前列の中3人が九州からの富士登山希望者。そしてその支援仲間  まずは支援登山の意味から。
 2月8日、遠い九州の、福岡市社会福祉協議会からの電話。「視覚に障害を持つ3人が富士山に登りたいと言っている。自分のところでは受ける力がない。
 静岡県も含めてあちらこちらに相談してみた。が、すべて断られた。辿りついたのが六つ星山の会。受けてもらえないか。」と言う内容。
 こうした相談は初めて。一瞬、返事に詰まった。
 相手の実力も分かっていない。薄い空気、荒れればマイナス気温にもなる激しい気象変化に曝される高山。周到な準備と体力の要求される登山だ。それが分かっていての相談なのか。簡単にはハイとは言えない。
終日、深い霧の中の登山になった。  しかし25年前を思った。山に登りたい視覚障害者はたくさんいる。あの時も山に登りたいと訴える視覚障害者がいた。だがどの山岳会も受入れはしなかった。
 ならば我々でと、それが六つ星山の会の立ち上げの切っ掛けになった。
 再び今、遠い九州の地から、自分たちは富士に登りたいと訴えて来ている。すべて断られ、最後に六つ星に辿りついた。これは受けざるを得ないと思った。幸いに半年間の余裕がある。能力に不安があるなら、トレーニングをしてもらえば良いこと。そう考えて受けることに。これが経緯だ。
6合目少し上の岩石帯を通過中  7月20日朝、新富士駅に九州組5人、東京組11人の合計16人が集結。初めての出会い。此処で各自自己紹介。とかく硬くなり勝ち な場面だが初めての出会いという感じではなかった。
 6ヶ月間のメールでの交換で相手と気心が通じ合っていた。やあやあと和気藹々の雰囲気がすでに出来上がっていた。
 新五合目での登山方法の打ち合わせ時でも遠慮の無い、忌憚の無い意見交換が出来た。  とはいえ、良いことばかりでは終わらない。
 長い苦しい登高。やはり躓いた。予定していた山小屋に辿りつけない。
 急遽予定変更を21日、6時35分後続組山頂到達。外輪山の淵で記念撮影 迫られた。
 明けて21日になってさらに難しい判断を強いられた。
 こうした折々の苦しい選択の都度、仲間たちに助けてもらえた。おかげで視覚障害者だけでなく、全員が思わず歓声を上げる大喜びの登頂成功となった。
 このすばらしい仲間たちを誇りにも、自慢にも思う。
 下山後の駅前の店で行った感激的なお別れ会も素敵だった。思わず泪が流れた。
ゲマインシャフト=運命共同体として二日間一緒に過ごしたすばらしい仲間たちに感謝。 陽射しの照りつける、長い長い大砂走りの下山